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なぜ人を殺してはいけないのか? 〜成熟社会を生きる作法〜

人生の教科書「よのなかのルール」(藤原和博、宮台真司)という本を読んでいる。
教育ということにとどまらず、私たちが日常を生きていく上で非常に大切なことが書かれていたので要約してみたい。

1997年にTBSの『ニュース23』に出演した男子高校生が「なぜ殺人がいけないのか分からない。自分は法律の罰が恐いから殺さないだけだ」と発言した。この本の序章では、この発言を出発点に、成熟社会を生きる作法とそのための教育の施し方が書かれている。


なぜ人を殺してはいけないのか?

■法律があるから人を殺さないのか?
厳罰化しても殺人は減らないことが証明されており、法律があるから人を殺さないのではない。人を殺さないのは法律ではなく倫理(個人道徳)や道徳(共同体道徳)の問題なのである。

さらに、その道徳にしても、「人を殺してはいけない」というルールを一般化した社会は歴史上一つもない。あったのは「仲間を殺すな、仲間のために人を殺せ」というルールだったのだ。

近代過渡期(重化学工業時代)は仲間の範囲が国民であり「仲間」=「人」だったため、「人を殺すな」というルールがあるように見えた。しかし、現在の近代成熟期に入ると仲間の範囲が小さく縮んでしまったため、「人を殺すな」というのは当たり前のことではなくなってしまった。

■なぜ人は仲間を殺さないのか?
「仲間を殺すな、仲間のために人を殺せ」というルールがあったと言ったが、それは明確なルールとして確認されていたわけではない。仲間を殺さないのは、仲間を殺せないから、なのである。それでは、なぜ人は仲間を殺せないのだろうか?

答えは、承認によって獲得した自尊心により仲間を殺せないためである。
他人とのコミュニケーションを通じて肯定され承認されることによって、自尊心が養われる。そのような自尊心により、自分が自分であることにとって、他人や社会の存在は当たり前の前提となるのだ。それにより、他人を殺すことはただちに自分を殺すことにもなるのである。

■「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いがなぜ現れたのか?
近代過渡期においては規律が尊重され「いい学校、いい会社、いい人生」という物語に従うことで承認が得られた。しかし、近代成熟期に移行して社会の全体像が不透明化して何がよきことなのかは個々の人により異なることとなった。にも関わらず、家庭や学校教育が近代過渡期と変わらなかったため、子供は承認を得ることが難しくなった。
それにより、自尊心を得られず過剰同調する人、ひきこもる人、承認を拒否して脱社会化する人がでてきた。脱社会化した人間にとって、人はモノと同等であり、人を殺すことをなんとも思わないということになってしまうのである。

■成熟した社会での作法をどのように身につけていくべきか?
成熟社会における作法を見につけるための教育とは、「みんな仲良し」という協調性重視型の教育ではなく、自立と相互貢献を重視する自己決定型の教育である。成熟した社会での作法を見につけていくためには、人々の試行錯誤と自立的尊厳の育成が支援されるようなメカニズムが必要である。
自立と相互貢献を身につけた大人が知識や価値の伝達ではなく、コミュニケーションを通じた承認の供給を行っていくことが大事なのである。


【参考文献】
内容をもっと詳しく知りたい方はコチラをお読みください:

at 23:16, 市来 広一郎, 熱海や社会の現状と課題

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comment
さかさま, 2007/02/07 2:56 PM

どもども。
この本めちゃくちゃ読みたいですよーーー。

今、高校生に悩まされてまして。
無気力、受身、厭世的、夢なし、それでいてやっぱり若いので、日本語はどんどん上手になり、人の神経逆撫ですること「だけ」を発言するんです。

■成熟した社会での作法をどのように身につけていくべきか?

の段落が特に来ました!!!

日本語教育やっていて、最初は日本の文化とか教えてましたが、次第に、これは違うなと思うようになって。でも、何をしたら良いのか分からず、まいってたんですよ〜。

「知識や価値の伝達ではなく、コミュニケーションを通じた承認の供給」が必要なんですね!!!

とりあえず、褒めることから始めます。

ありがとうございました(&#65515;v&#65513;)

atamista, 2007/02/07 3:28 PM

さかさまさん

コメントありがとうございます!
この本はこんな内容の序章につづき、杉並区立和田中学校の藤原和博校長先生が取り組んでいる「よのなか科」の授業の中身が続きます。

その授業の意義を解き明かした形のこの序章は、僕がもやもやと思っていたことをスパっと言葉に表してくれたようで、なんだかすっきりした気分になりました。

さかさまさんが授業の中で実践的に取り組み、今後、何か気づいたことでもあったらまた教えてください。

私も熱海ファン, 2007/02/10 8:51 AM

エントリーのテーマからは逸れてしまいますが、「酔うぞの遠めがね」の以下のエントリーも高校に社会人講師として赴いた「酔うぞ」さんが高校生に社会への接し方をどうやって教えるか試行錯誤した様子が描かれています。
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2006/09/post_21bc.html

「酔うぞの遠めがね」の「教育問題各種」というカテゴリーには、現代の若者は「教師から情報を一方的に受け取る」か「仲間内の会話」というコミュニケーションしかなく社会や他者に自分の考えを理解して貰おう、説得して貰おう、理解して貰ったり説得するのは大変だという経験を経ていないのでは、という問題意識から書かれたエントリーがいくつかあり興味深いです。










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情報学ブログ, 2007/03/05 1:38 PM

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