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社会を回すためのあまりにも大きなコスト

自殺対策を国や自治体などの責務とした「自殺対策基本法」が15日、衆院本会議で可決、成立した。(参考1参考2)自殺が社会問題としての認知されたのである。個々の自殺の問題はメディア上でも扱われるにしても、社会全体の問題として扱われることはあまりなかった。しかし、これほど多くの自殺者が出る社会は、まともな社会なのだろうか?我々は我々の社会のあり方について、もっと向き合うべきではないだろうか。個人個人が抱える苦しさを個人としてではなく、我々社会、コミュニティ全体の問題として考えていく必要があるのではないか。そんな問題意識から自殺問題について言及する。



昨年1年間の日本国内の自殺者数が3万人を超えた(参考3)。8年連続の3万人超である。一日約、100人の方が自殺でなくなっている。そして、その裏には、10倍20倍もの自殺未遂者がいると言われているそうだ(参考2)。自殺未遂者30万人ということであり、一年間に日本人の400人に1人が自殺未遂をしていることになる。



こう言われても、それが問題なのかどうなのかピンと来ないかもしれない。しかし、国際比較で見ると日本は世界でも10番目に自殺率が高く、先進国中の中では他国と比較して極端に高い自殺率となっている。(参考4)日本より自殺率が高い国は、旧ソ連や東欧諸国という旧共産圏の国だ。これらの国では共産主義経済から資本主義経済への急激な移行による社会ルールの変化によるアノミー(どうしていいかわからない状態)が原因であると説明される。(参考5参考6「デュルケーム『自殺論』」)では、日本はどうなのか。自殺者数は1998年に急増し、以降ほぼ横ばいとなっている。(参考7)明らかに、1998年を境に大きな社会構造の変化が起きていることがわかる。(統計手法や調査方法に特に変化はないようである。)前年の1997年は、山一証券、北海道拓殖銀行の破綻、神戸小学生殺傷事件など衝撃的な事件が起こった年である。その年を境にこの日本社会は自殺者を多く生み出さなければ回らない社会になってしまったのだ。こんな社会がよい社会と呼べるのだろうか。



そんな現状を変えるべく、問自殺という事象を、社会全体の問題として認識しようと考え実行したのが、NPO法人「ライフリンク」の清水康之氏である。清水氏の集めた10万人の署名がきっかけとなり、今月『自殺対策基本法』が成立した。基本法とは憲法のように国民から国への命令のようなものであり、今後、行政の側は自殺を社会問題として認識し、実態調査や対策を講じていくことが責務となったのだ。これでようやく、自殺を我々の問題として扱うことを行政・政治が認識し行動することとなる。今後、まずは、自殺対策基本法に基づき、自殺の実態(自殺の原因など)が調査される。そして具体的な対策も練られる。我々、一般市民もメディアの報道を通して今までよりは、問題を知る機会は増えるだろう。そういった活動を知り、我々の問題として認識することになる。いま現在は、そういうスタート地点に今たったところである。我々の生活にとって、よりよい社会を築くためにはこの自殺問題は避けて通れない問題なのではないかと思う。



旅でインドに行ったとき、そこには人の生死が人の生活のすぐ傍に存在していた。インドの人々は実に生き生きとしていた。直感的な主張になるが、人の生死を見つめることと、人が快適に生きていくこととは、切り離すことのできないことなのではないだろうか。我々がよりよい社会を築いていくためには、人の生死について、正面から向き合う必要があるのだと思う。



ここで記した内容は、丸激トークオンデマンド第272回の中で詳細に語られている。この中で、神保、宮台両氏も今までに自殺問題をテーマとして扱って来なかったことを反省していた。私自身も、とある2年前に私的な事情をきっかけに、この問題に関心を持っておきながら、その後特に何も行動を起こしてこなかったどころか、徐々に問題意識も薄れていたことを反省している。自殺というあまりにも大きな社会的コストが極力発生しない社会とはどういうものか、そういう意識を持ちながら、何か行動につなげていきたい。

at 09:29, 市来 広一郎, 熱海や社会の現状と課題

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